2017年1月15日

128 下着整理

今日は今年初めての完全OFF日、月に一度のグダグダ日にする。誰とも会わず話さず、グダグダのんびりする日が月に一日くらいは欲しい。生憎というか丁度というか、今日はとても寒くて外出には向かない天気だ。
そうこうしながら一つだけ片付けをしようと思い立つ。下着類だが、消耗品に近いので折に触れ少しずつ処分してきているから、すぐに出来るはずだとも思ったのだ。予想通り、自分の決めた基本数を揃えることが出来た。処分するのは12点あった。
元々、若い頃から締め付けの強い物は嫌いだった。ガードルなんて物は今まで数回穿いたかどうかで、30代中頃の身体の線が気になりだした頃、結婚式に招かれて着た薄いドレスの時は久しぶりにきつくないガードルを買って穿いたものだったが、せっかくの高級料理もゆったりと食べられずに途中で脱いでとうとうトイレのゴミ箱に捨ててきたくらいだ。ヒッピー文化などの影響で時代の空気もあって、若い頃はノーブラで過ごしたこともあった。時の経過と老化と重力の法則で他人様に見苦しい物を見せる訳にも行かなくなり、自分でも落ち着かず、ブラジャーは着けるようになったが、何よりも着け心地優先だった。そうこうする内にブラ付キャミソールという便利な物が出だし、ずぼらな私はすぐ飛びついた。ところが、若い子たちが行くような店の物は、ブラの位置が高くカップが厚く、どうもしっくりこない。ちょっとダサいデザインだが中高年向きのメーカーの物を試したら、何とも楽ちんではないか! とっくに中高年なんだからあたり前なんだけど…
若い頃は歳をとってもババ臭い下着だけは絶対身に着けたくはないと思っていたが、こうやって自覚させられるのだ。

ババ臭いと言えば、オバサン、オバアチャンの原宿と言われて久しい巣鴨には、健康増進、厄除けの為の「赤いバンツ」があるということは以前から知っていたが、勿論買うつもりなどこれっぽっちも無かった。ところがある日、もらってしまったのだ! 仕事のスタッフの I は本業は女優だが、まだまだ食べられず合間に私の手伝いをしてくれているのだが、舞台衣装であるモンペを買いに行った(巣鴨にはあるのだろうなあ)ついでに赤パンツを買って来たのだそうだ。彼女は私の事を「ボス」と呼ぶ。「ボス!腰を冷やさないで健康に気をつけて下さいね!厄除けにもなるんですよ!」
ウ~ン、男の厄なら欲しいくらいだってば。オバサン扱いされてガックリする私に、彼女は自分の分も買ってきたのだと慰めにもならないことを言う。彼女はほぼ20歳程私より年下なので、まだまだオバサンなどではない。その後彼女が言うには、彼女は舞台に立つ時は必ずこの巣鴨赤パンツを穿いているのだそうだ。まさにある意味「勝負パンツ」なのだ。舞台の彼女を観る度に「このモンペの下はあの赤パンツか」「このセクシーなドレスの下も赤パンツか」と、想像力がかき立てられる。赤パンツの効果か、舞台の上の彼女はいつもはち切れんばかりに元気だ。

今回残した物は、ブラジャーがいらないカップ付キャミソールを9枚、締め付けないショーツを18枚、きちんとした格好をする時のブラジャーを念の為に3枚、真冬用の発熱下着を3組。着心地が良くて便利で、コットンかシルクのオーガニックな物を厳選した。これで下着の整理は終わり。丁度、引き出し一杯に収まった。他のグッズと同じで、ワンアウト、ワンイン、一つ捨てたら一つ補充するだけだ。
ブログ用に写真を撮ったら、肌身に着けた物はどうも生々しいので、同じ物のカタログ写真を載せることにした。自分の着る下着の写真を撮るなんてことは滅多にはあるものではない。(巣鴨パンツは実物)(笑)





2017年1月5日

127 2017年正月

また新しい年が始まった。
何も始められないとしても、新しい年がやって来ると気持ちが改まって、何か出来そうにな気分になるのは嬉しい。
元旦は一人でのんびり過ごして、一年の計画、目標などに頭を巡らすのが恒例となった。大したことがない計画なのに何故かバタバタになってしまう毎日を今年こそ改善したいものである。
2日は、特養から母を連れ出し、実家で新年会をするのがこの数年続いたが、インフルエンザの流行を懸念した特養側が外出を禁止、面会も玄関脇でしか出来ないということなので、今年は諦めた。少し暖かくなったら会いに行こうと思う。母不在の実家には行く気にもならず、2日も夕方まで一人でゆっくりする。のんびりした正月もとても良いものだった。
翌3日は、やはり恒例の伊勢詣りなので、2日の夕方から名古屋経由で伊勢へ。年によって参拝時間が違うということで、昨年と同様に今年も早朝(夜中)3時に集合して外宮から内宮へと回る。まだ外は真っ暗で空気が澄み、空には星がまたたいている。外宮は私達一行のみで、内宮も人影は少なく、ゆったりとお詣りが出来た。実に清々しかった。年毎にお詣りが充実してきたような気がする。





2016年12月27日

126 そうだ!掃除をしよう!

片付けブームの一環として、掃除術のあれこれも雑誌、テレビで頻繁に取り扱われている。
今朝はいつも聞いているラジオでも話題にしていた。年末のことでもあろうが、そうだ!と私が思い立ったのは、今月の中頃からグズグズと続く風邪症状を省みた結果である。ずっと風邪っぽいのでずっとおざなりな掃除で済ましていたせいではないか…
今年の年頭に唾石症を患った時に立てた生活改善、健康回復策の一つに「掃除の徹底」があった。それらを実行する内に、自然には出ないであろうと言われていた石がポロッと出て確信を持ったのに、ずっと風邪っぽいのは掃除をおざなりにしていた結果のような気がする。掃除以外にも実行できていないことだらけだ。「休む」もそうだ。12月に入って、具合が悪くて予定をキャンセルして休まざるを得なくなった一昨日まで一日も休みが無かったのだ。休みは30日まではどうしようも無いので、今はとにかく掃除に励むしか無い。
世の中には掃除教とでも言いたくなるような宗教じみた熱烈な信者のような人が居て、例えば家族が入院した時に自分がやれるのは掃除だけなのでと、病室、自宅の隅々まで徹底掃除して家族は無事快癒した話とか、ビートたけしから広まったトイレ掃除の成功譚など、枚挙にいとまが無い。私としてはこういうことが広まり、世の中がきれいに清潔になるのは大いに結構な事だと思っている。
今朝の拭き掃除は、久々に気持ちよく出来た。気持ちが晴れると良いホルモンも出るし、身体も適度に動かすことで健康に良い影響がある等々、掃除の効力は科学的には説明が出来るのだろうが、こういったことは頭で考えずに無心でやった方が気持ちが良い。


2016年12月17日

125 長く通っている店 / 行かなくなった店

昨夜は長年の友2人と女子会例会(口の悪い人は霊界と言う)。
どんなに忙しくても季節に一回くらいは会って旬の美味しい物を食べようという例会であるが、今年も皆色々あって半年ぶりになってしまった。店はこれも30年以上の長いつき合いの「こうぼう」で、きめ細かい和風創作料理が美味しい。店主のコウゾウさんは元寿司屋らしくお魚の目利きで、必ずお刺身も出してくれる。つき合いが長いからこちらの好みも分かってくれていて、お任せ料理で楽しんでいる。昨夜はウニのヒラメ巻きがとても美味しかった。
コウゾウさん夫婦は私達と同世代だしプライベートも程々に分かっていて、入り込み過ぎないで良い感じの距離を保っている。友のルミちゃんとサカサイには私のみっともない所を散々見せているので今更気取っても仕方がない仲で、気楽である。気を使わないのでつい呑み過ぎてしまうこともあるが、多忙な日常の中で一息つく瞬間だ。
こんなに長くつき合っている店は他に2軒あるかなしかだ。店主も歳を取ったり亡くなったりで閉店した店も随分ある。
逆にこちらから行かなくなった店もある。せっかく美味しい日本酒を取り揃えているのに、店主が話に入り込み過ぎて友達と行ってもろくに話も出来ずに、うっとうしくて行かなくなった下北沢の居酒屋、オーソドックスな蕎麦屋らしいメニューが美味しくて結構通ったがお客の前で大声で夫婦喧嘩し、食器をガチャガチャ洗いデッキブラシでゴシゴシ床をこする恵比寿の蕎麦屋、美味しい紅茶を出すお茶の水の路地裏の喫茶店では、店主の女性がアルバイトの子をいつも叱っていて見苦しくて行くのを止めた。行く時は行くのに催促の電話をしてくる赤坂の九州料理の居酒屋…
どこも美味しい物を出すのに残念だ。店は、味だけではなく居心地良いことも重要だ。







2016年12月7日

124 「忠臣蔵」三昧

国立劇場50周年事業として「仮名手本忠臣蔵」の完全通し公演が、歌舞伎、文楽共に上演中である。完全通し上演は歌舞伎は54年ぶり、文楽は大阪の国立文楽劇場でもまだ試みたことが無いそうだ。このサイクルだと、今生ではもう観ることもないだろうと、10月から通っている。
昨日は文楽版の前半を観に行く。その気になれば後半も16時半から観られるのだが、10時間に及ぶ公演を観る体力に自信が無く、後半は後日に譲った。NYへ行く飛行機に乗ったつもりになって一気に観ようかとも一度は考えたが、飲んだり食べたり眠ったりの12、3時間と舞台鑑賞では大いに違う。今回の5時間でも最後は腰がきつかった。それにも拘わらず、10時間余りを一日通しで観る人もかなりいたようで、小耳にはさんだところによると、地方から来た方々の多くは一日で鑑賞していくようだった。それくらい、完全通し上演はかなり珍しいのだ。
今月中に、文楽の後半と歌舞伎の第3部を観に行くのだが、これほどの「忠臣蔵」浸けは私にとって最初で最後だろう。完全通しということで普段はめったに上演されない場面もあって、大変興味深い。残りが楽しみだ。



2016年11月27日

123 観劇マナー

月に10本くらい舞台を観ることはあるが、1週間に5本というのはちょっと過密かもしれない。
能2本「烏帽子折」「道成寺」、歌舞伎「忠臣蔵」、演劇「天使も噓をつく」「零れる果実」の5本を今週は観た。それぞれに素晴らしく、そういう意味でも密度の濃い1週間だった。
だが、マナーが悪いというか、変わった人達をこれほど見かけたことがない1週間でもあった。

「烏帽子折」は子方の集大成とも言われる能だが主役の義経を演じる長山凛三君がその名の通り、凛々しく美しい。国立能楽堂の脇正面2列目で職場のスタッフと2人で鑑賞する。普段はあまりこんなに前方では観ないが、席はその時の運と出会いなので近くから観ることを楽しむことにした。ところが、私達の丁度前の席の老年夫婦のご主人らしき人がキョロキョロと客席を見回し、頭を動かすので視界に入って落ち着かない。奥さんらしき女性は着物のせいにしろかなり前のめりで、しかも時々こっくりこっくりとうたた寝して頭を動かす。こういう人は何も一番前で観なくても良いのになあと思うが、休憩の時に「あれは病気に違いない」(チックとか、前を向いていられない症状)とスタッフと結論に達して、そう考えると気の毒でもあり、気分を変えて舞台に集中した。凛三君の10歳というこの年齢の美しさは今しか観られないのだ。
「道成寺」のシテは観世喜正師。芸は元より人柄も含めてこれからの能楽界を背負って立つ方だと私は信じている。社会性もあり、従来の能ファンだけではない一般のお客様も呼ぶことが出来る方なので、この日も国立能楽堂は満員御礼であった。能楽堂ではちょっと前までは謡本を見ながら観劇をしている人をよく見かけたものだが、最近はそういう人は少なくなり、まして喜正師の公演では見かけなかったものだが、何と隣と前に居た! 隣の男性はずっと謡本に目を落としている。舞台を観て!と心の中で叫ぶ。何てもったいないことだろう。前の席の中学生くらいの女の子は席にズルッともたれて謡本を顔の前に掲げている。時々振り向き、後ろの席で私の隣席の祖母らしき女性に内容を聞いている。演能中である! おまけに、ささやき声の発声が出来ないので、丸聞こえで邪魔で仕方ない。その祖母たるや一度もきちんと座りもせず、その孫娘らしき子の席の背もたれに肘を乗せてちょっかいを出している。その女の子の隣の席の二人は時々祖母の方を振り返りながら抗議の視線を送っていたが、老女は知らんぷりであった。こんな調子では堪らないので、見所の乱拍子が始まる前に注意しようと思っていたら、さすがに芸の力は凄い。迫力ある乱拍子に客席が水を打ったようにシーンとなっている時は件の二人も舞台に集中していた。そのうち謡本に目を落とそうとした孫娘に「そろそろ鐘入りだよ、しっかり観なさい」とオババがのたまう。教えているつもりか?!やれやれ…
女の子はきっと祖母の勧めで謡の稽古を始めたのだろう。それ自体は結構なことではあるが、その前に教えることがあるのではありませんか!と言いたくなるような一件であった。

「忠臣蔵」を観に行った国立劇場でもやれやれだった。まず隣席の女性がずっとプログラムを読んでいて舞台を観ない。菊五郎が勘平の名科白をはく名場面も、菊之助のお軽の美しい所作事もほとんど観ない。他人の事ながら何しに来たんだ!?と残念だ。今回は「とちり席」の花道寄りが取れていて、特等席なので料金だってお高いのだ。もったいないことだ。
その女性の前の席の人も笑える。ささやき声が出来なくて、隣の友人らしき人に大声で喋りかける。松緑に大向うから「紀尾井町!」声がかかると「今でも紀尾井町に住んでいるのかね?」とか、そんな調子である。ただ、この女性はお昼休みの後は、ほとんど眠っていたので、後は静かだった。その隣の女性がまた凄い。静かな場面で皆が集中しているところに何かを捜し始めたのか、レジ袋の音をガサゴソし始めた。これが結構響くのだ。周りの人は皆イラっとしたはずで、振り向く人もいる。すぐ止めるだろうと我慢していたが、ガサガサガサガサ、ゴソゴソゴソゴソ、…と永遠に続くかと思うほどだ。さすがに、彼女の前の席の人が「ウルサイですよ!」と注意してくれた。

能や歌舞伎はオバサンが多いので、こういった事もままあるが、社会派を標榜し演劇好きの人が集まる劇団燐光群の公演にはまさかそんな人はいないだろうと出かけた「天使も嘘をつく」だったが、来ました!隣に。歳は20代中頃か、長い黒髪の背の高い女性だ。この女性が開演前から落ち着かない。足を何度も組み換え、その度に床に足をドンと下す。会場の座高円寺の客席は可動式なので動きによっては結構揺れる。暗いし照明機具も沢山ぶら下がっており、劇場は地震に出会いたくない場所の一つである。だから、貧乏ゆすりをする人が隣に座ったりすると最悪だ。隣の彼女がドンドンと足を下す度に席が揺れてやな感じだ。開演してからも同じようにする。おまけに長い髪を手ぐしで何度もすくい頭を前後左右に揺らす。とにかく落ち着かない。さらに膝の上にノートを置き、時々何やら書いている。書くより観ろよ!あまり身体を動かすので後ろの人も邪魔だったらしく、時々小さな咳払いして注意していたが、聞く耳を持たない彼女だった。これも多動性の病気に違いないと思って途中から諦めたが、心落ち着かせて観劇出来ないのは残念である。
まあ、世の中には色々な人がいるので、こういった場合は早々に諦めて、舞台に没入するに限る。
今週観た物は、集中に価する物ばかりだったので、それは幸福なことであった。










2016年11月17日

122 タオル整理 / 目からウロコのタオル術

もらって困る物にタオルがある。気に入った物ならともかくも、使う気にもならない物がどんどん増えてしまう。消耗品でもあるタオルは、贈りやすい物の一つなのだろう。通販のおまけに付いてきたりもする。台拭きでも雑巾にでも使えば良いのではないかというが、雑巾ばかりそうも要らない。増えてしまったタオルは前回の引越しの折に犬の救援センターに寄付をして使ってもらったが、今回の整理でまた、余備の物をいれるプラスチックケースがいっぱいになってしまった。
今回は、念願だった「タオルはフェイスタオルだけにする」という目的を果たした。バスタオルは使わないのだ。これは数年前に職場のスタッフが母親の教えだと言って話してくれたのがきっかけだった。大きくて使い難いバスタオルを使うよりフェイスタオルを2枚使った方が合理的であることを教えてくれたのだ。目からウロコであった。私たちの世代は特に西洋的な生活の憧れの物の一つとして「バスタオル幻想」があると思うが、元はと言えば「手拭い一本」で済ませていたのが日本人ではないのか。ちょっと前までは温泉旅館に泊まると手拭い(薄いタオル)一本が用意されているだけだった。温泉の脱衣所に風情が無くなったのは、バスタオルのせいではないかと思うくらいだ。
バスタオルよりフェイスタオルをという提唱は、日本的発想だと思いきや、ドイツのカリスマ主婦と言われる女性も同じことを勧めているのをその後知り、合理性は洋の東西を問わないのだと感心したものだった。
手拭いはすぐ乾くし場所も取らない便利な物だが、柔らかなタオルに顔をうずめる幸福感も捨てがたく、私は気に入りのタオルを少しだけ手元に残すことにした。今一番の気に入りはオーガニックコットンの「天衣無縫」だ。軽くて肌触りが素晴らしく、吸水性も良い。超長綿という特別の品種が原料で製造過程もオーガニックにこだわった物だから安心でもある。大量生産が出来ないので、販売店に行っても品切れのこともある。先日ついでがあった折に売り場を覗くとたまたまあったので、2枚購入して新調した。他に残す物としては、良い物をよく知っている人からの贈物である今治タオルの「エコモコタオル」など、どれも使い心地が良くオーガニックの物ばかりをチョイスして計10枚。これだと丁度、整理タンスの引き出し一杯に収まる。

タオル術でもう一つ感心したことに、「首にタオルを巻いて寝る」ということがある。御年93歳で歌舞伎ワークショップを主催している塩崎浩先生が推奨していて、奥様と共にこれを実行して以来20年間は風邪一つひいたことはないそうで、実際かくしゃくとして大変お元気だ。真似をして始めたものの、タオルでは何となくおしゃれじゃないような気がして(寝姿など見せる人は誰もいないのだけど)、スカーフにしたり、ネックウォーマーなる物を試したりしたが、いずれもグズグズと丸まってしまい肌が露出した所がスースーして寒い。結局、タオルが一番適していることにも気がついたのであった。