2016年3月3日

96 〇


明後日は、「子どものための日本文化教室」第11期の修了式だ。1年が過ぎるのは早い。
成長期の真只中にある子ども達の変化には目を見張るものがあり、時が確実に進んでいることを実感するばかりである。

2016年2月23日

95 箱根の休日

久しぶりに連休ができたので、箱根に静養に出かける。箱根は好きなリゾート地でもあり東京からも手軽に行けるので、出かけた場所としては何だかんだと一番多いかもしれない。昔は車でドライブも楽しみつつなんてこともあったが、今はもっぱらロマンスカーだ。乗り込んだらまずビールを飲んで一気に旅気分を盛り上げる。
今回は富士屋ホテルに泊まり、一晩はフレンチを楽しみ滋養をとろうという計画なので、箱根には行ったことが無いという姪に、良い機会だからと一泊だけつき合ってもらう。何処でも一人で出かける私だが、どうもフレンチは一人食に向いてないような気がするのだ。
富士屋ホテルのある宮ノ下は骨董の店などがあり散策するのも楽しい所だ。大好きな温泉「函嶺」もある。ここには以前は泊まったこともあったが、今は宿泊はやっていないそうだ。大正時代に建てられたという、病院だった古い洋館が何ともノスタルジックだ。ここの露天風呂の眼前には竹林が広がり、温泉浴と竹林浴とで癒し効果は抜群である。隠れ宿みたいな所なのでお客さんも少なく、いつも貸切状態だ。
初箱根の姪を案内すべく、箱根登山鉄道とケーブルカーに乗る。景色も昔と変わらずスイッチバックなんかして楽しい電車だ。数年前からの噴火騒ぎでロープウェイは止まっているとは聞いていたが、この日は悪天候が重なって全面停止だったので、バスで芦ノ湖を目指す。湖尻に着いて周りを見回すも人っ子一人居ない。船も停止。霧のたちこめた芦ノ湖。初めて見る光景だ。バスでまた戻るのではつまらないので、芦ノ湖湖畔の道を歩いて九頭龍神社に向かう。深い霧の中を誰にも会うことが無く、何メートルか先は何も見えない白い世界を姪と二人でひたすら歩く。これはこれで新鮮な体験だった。
結局、姪は芦ノ湖も富士山も見ることが無く、初の箱根の旅を終えた。だが、さすがの富士屋ホテルの部屋と食事とサービスに満足して、東京の日常に帰って行ったのだった。
翌日は晴れ渡り、前夜の雪が真っ白に降り積もった富士山が見えるはずだった。…が、私が居る間は結局は富士山は雲に隠れたままだった。空は青く見事に晴れているのに富士山だけが隠れている。富士山にはそういうことが時々ある。










2016年2月13日

94 石が出た! / 入院騒ぎの顛末-2

気がついた時には舌の下に石がコロリと横たわっていた。その2日程前に悪血のような黒い血がちょっと出て、石のある場所が今までにない痛みでチクチクとしていた。出ようとしていたのだなあと思う。案外、軽い陣痛だった(笑)
直径5mm長さ1cmで法螺貝のような形をしている。私の身体の中でプープーと危険信号を発していてくれたのだ。自戒の為にも、しばらくは取っておくことにしよう。
直径5mmからして、自然に出ることは無いと医者は言っていた。普通はそうであろう。でも私は出てくるだろうと信じていた。身体を整えれば、身体が異物だと判断した物は排出するようになる。それは自然治癒力と言っても良いかもしれない。それにしても思ったより早かった。健康回復の為に7つの項目を立てて、エッチラオッチラとやり始めたばかりだった。でも、まだちっこい石が2つある。このやり方で良いと確信が持てたので、このまま続けるとしよう。

炎症が酷い時に一週間近くゼリーと蜂蜜で過ごさざるを得ず、2キロ体重が減った。これを好機と捉えて歩くのにもモチベーションが高まり、今や正月太りの最大値より4キロも減った。でもまだまだなんだけど…
三つ子の石の残りが出る頃には、すっかり健康かな?と楽観している。
とにかく、転んでもただでは起きたくない私ではある。









2016年2月3日

93 入院騒ぎの顛末

CTで見つかった石が光って(どんな宝石だ!?)よく分からない部分があるので、腫れも引いてきたところで超音波で詳しく見てみましょうということで検査をし、その結果が出た。大きさが違う小さな石が三つ程重なりあっている。「唾石症」というのだそうだ。
石は自然に出てしまうということはまずは無い、と医者は言う。直径1mmの唾液腺は開いたとしても3mmがせいぜいだということで、私の直径5mmの石が出るというのは、普通に考えても無理ではある。薬で溶かすということも出来ない。場所が場所だけに、衝撃が強い超音波で粉砕するのも勧められない。外科手術は全身麻酔で首から切除してやるが、周辺の血管や神経や細かい腺を考えると危険も多い。顔面麻痺が残った人もいるという。勿論、首に傷も残る。
そんな訳で、しばらくは様子を見ましょうということで御赦免に。手術を強く勧める医者でなくて、本当に良かった。例え勧められても、私の選択肢に手術は無いが。

以前、入院したのをきっかけに健康に目覚め、体質改善をして、薬も飲まず、病院にも行かず、20年以上は健康に問題は無かった。身体から注意信号が出ると、それなりの処置をしてそれで何とかやり過ごしてきたが、ここのところ無理がきかない歳になったのにも拘わらず、健康を過信していたきらいがあったような気がする。ここらで見直さなければいけないのだ。何をするか?よくよく考えて項目を立ててみた。しばらくはこれを厳守したい。

 1、休む (月に6日は休む)
 2、よく歩く (日に1時間は歩く)
 3、よく噛む (30回とはとかく言われるが 口の中で溶けるくらいまで噛む 相当根気が要る)
 4、仙骨の調整を集中的にする (健康維持の為に月1の調整だったのを 週1にする)
 5、禁酒 (腫れがひけるまで)
 6、掃除の徹底 (風水的には建物と身体の部位は一致すると言う 喉がどこかは分からないが 
            結局全部きれいにすれば全身健康ということだ(笑))
 7、早寝早起き (言わずもがなのこと お酒つきあえなくてごめんね~(笑))

まあ非科学的ではあるが、これを徹底すれば、何かは変わるだろうと思う。
2月に入り、明日は立春。ノートにはOFFを6個書き入れ、休む目標にする。
歩くことは既に始めた。病院の帰り道に明治神宮の北参道口があるので、病院で触れた粗い気を浄化する為に明治神宮を一回りして帰ったものだった。一回り30分、一週間は歩いたので下準備は出来た。近所には歩くのに相応しい場所が沢山ある。
そして今日は、仙骨の調整にMRT恵比寿に行く。久しぶりに橋田先生とも話し、今回の事をシミュレーションする。MRT的には、必要あっての病気であり石である。この石も私の一部だ。何かのメッセージとしてここに居るのだから、それを検証しつつ、同じ事を繰り返さない為にも自分の日常生活を振り返らなければならない。
帰路、恵比寿から明治通りを歩くのが常だが、今日は代官山経由で帰宅する。歩くのにこれから良い季節だ。コースを変えて目先の変化を楽しみ、どんどん歩きたい。
片付けするのは物ばかりでは無い、とはついこの間言ったばかりだが、またしてもその通り、この三年間でどっと付いてしまった脂肪とこの喉の石を、身体から片付けなければいけない。





2016年1月24日

92 スワッ!入院か!?

「一週間程、入院できますか?」目の前の白衣の女医さんが、事も無げに言う。えっ、こんなに元気なのに!?
朝晩と2回点滴をした方が良く、通院だと一回になってしまい効果が薄くなるからと言う。家から徒歩10分だから朝も晩も何回だって通いますよと言うと、衛生的な理由から通院での点滴は日に1回という規則なんだそうだ。よく分からないけど、今の状況で入院はあり得ない。

私には、ちょっと無理をした時などになる「唾液腺炎」という持病がある。病気と言う程の物では無く、注意信号のような物だ。疲れて抵抗力が弱った時などに唾液腺の出口が詰まり、喉が腫れ、飲食物の通りが悪くなり、唾を飲み込むのも痛くなる。そういう症状が出た時は、ゆっくり休んだり、いつものように仙骨の調整をして、身体のバイブレーションを高めて2、3日で治して来た。ところが今回はそうも行かず、大変な炎症になってしまっていたのだ。顔の左側がお多福のように腫れて痛い。白血球は10000を超える数値で、明らかに大きな炎症がおきていることを示している。CTによると左の唾液腺に5㎜の石が見つかった。だが、医者が検査前に脅かした「何か腫瘍でも」の疑いは晴れ、少なくとも首から上はきれいなものだった。「何か血液をサラサラにする薬を飲んでますか?」と言われる程、血液はサラサラ、血圧もほぼ平常値、体温も全くの平均値。頭も痛くなく、だるくもない。
30年前に「腎盂炎」で入院したことがあるが、その時は40度を超える高熱でガタガタと震える私を父と母が両側から抱えてくれ、座ることさえままならず、頭は朦朧としていた。入院とはそういった状態にでもならないとあり得ないだろうというイメージの私には、唐突でしかない入院の勧めである。
今の私は喉が痛く、喋ることも不自由で唾もまともに飲み込めないような状態ではあるが、一人でさっさと歩けるし、朦朧ともしていない。
結局、検査の結果が思ったより良かったせいか、最後はそう強くは入院を勧められることは無かった。職場のスタッフの中には「いっそ入院した方が休めたんじゃないですか?」と言う者もいる。私も一瞬考えない訳では無かったが、ホテルではあるまいし、病院での休暇はあり得ない。
そんな訳で、この土日も休日診療で点滴を受けて来た。休日の病院の外来待合室はがらんとして暗く静かだった。いつも病人がそれぞれの苦しみや辛さを抱えて蠢いている空間も、休日が安息の時間なのかもしれない。
熱い日本茶をすする、冷たいビールをごくごくと飲む、こんな些細な楽しみがどんなに幸福なことか!誰でもそうだろうが、病気をした時に改めて健康の有難さを実感する。この数日はゼリーとマヌカハニーだけしか口に入れていない。あれも食べたい、これも食べたいで、街を歩くと誘惑だらけだ。治ったら、熱々のラーメンをふうふうしながら思いきりすすりたい。




2016年1月14日

91 〇


この二三日はぐっと冷え込んで、空も高く晴れ渡り、冬らしい気候だ。寒い所の出身のせいか、暑いより寒い方が好きだ。生来の怠け者なので、空気がピリッと引き締まるのが刺激になって良い。

2016年1月4日

90 2015年大晦日 / 2016年正月

今年も大晦日と元旦が休みになって、一年の最後の日に一年を振り返り、最初の日にこの一年の予定など考えるというパターンが出来つつあり、気に入っている。ちょっとした時間だが、これが大切。2015年も忙しく、訳わからずに年末になだれ込んだという感じだが、2014年のように海外旅行に行ったり、親しい人との別れとか、大きな出来事は少なかったような気がする。悲しいことも幾つかあったが、楽しかったことの方が多かった。(ような気がする)
まったくもって、生来のオプティミストではある。
このところ姪や甥が年頃ともあり、結婚、出産が続いていて、2015年も又甥誕生という嬉しい出来事があった。愛くるしく笑う赤ちゃんを抱っこしながら、この子たちの将来が幸福であるようにと願わずにはいられない。
さて、我が命題である片付けだが、2015年はあまり進まなかった。だが、一つ大きな決心をして処分したモノがあり、それだけで今回は満足しているところがある。それは運転免許を更新せずに手放したことだ。元より筋金入りのペーパードライバーでもあり、老害事故が頻発し問題になっているこのご時世に、私にとって「いつか」の可能性は最も無いものだった。それなのに、手放さない理由には「また取得するのは大変」「お金がかかっている」「身分証明として最適」等々で、現実味はあまり無い。やはりペーパーの同い年の友人に聞いてみたが、皆、もう一回くらいは更新したいと言う。更新手続きはそう大変では無いが、熟慮の末に私は更新するのを止めた。
片付けするのは物だけでは無い、とつくづく思う。物を手放さない理由は良くも悪くも「拘り」という精神的なモノに他ならない。免許を手放した途端に気持ちがとても軽くなった。爽やかでさえあった。それは手放したものの意味の大きさ故に違いない。
2016年元旦は一人のんびり、一杯やりながら、今年のことを考える。より一層、片付けに邁進したいところだ。運転免許のことで学習した「片付けするものは物では無い」という確信は、仕事にも当てはまる。今やっているのは本当にやりたい事だけか?義理に縛られていないか?そう考えると手放すモノが明らかに見えてくる。人が介在しているだけに難しいが、何とか一歩進んで身軽になりたいものだ。
2日は昨年と同様、帰省して特養から母を連れ出し、実家で家族で新年会。生後4ヶ月の又甥が皆の笑いを誘う。母も自分のひ孫とは認識出来ないが、「いい子だ、いい子だ」とニコニコしながら抱っこすることが出来た。母の病状は進んでいるので、長いこと同じ所に居られなくて「帰りたい」と言うのが早くなった。帰る家はここしか無いのにと思うが、気持ちを荒立てては可哀そうなので、妹二人と特養まで送りとどける。
そして東京に戻り、その足で東海道新幹線に乗り、名古屋経由で伊勢神宮参拝。これも年中行事になった。先導者がいるので、正しい参拝が出来る。まず月讀宮より参拝、内宮には8時頃到着。沢山の参拝客で溢れんばかりだが、あまり滞ることなく列は粛々と進む。今年は殊に清々しく素晴らしいお参りであった。
参拝後は同行者の御縁で、伊勢志摩の温暖な静かな湾を臨む割烹旅館「橘」で牡蠣づくしの美味しいお料理を頂く。鳥羽まで送ってもらい、近鉄、新幹線で帰京。一見、慌ただしい行程だが、とてもゆったり過ごした気分だった。あたり前だが、結局、大事なのは精神の持ちようということなのか。今年は一年こうありたいものだ。