2015年10月23日

82 子どものための日本文化教室

だいぶ秋めいて、過ごしやすくなった。今年はちゃんと秋があるだろうか。

明日は「子どものための日本文化教室」の茶道だ。会場は高田馬場にある茶道会館。都心とは思えない閑静な佇まいで、その場に居るだけでも身が清められるような思いがする。
環境は大切である。子どもはその場の空気を敏感に察知して神妙にしている。この場では騒いだりしてはいけないのだ、ということを感じて行動することはとても意義深い。


2015年10月13日

81 夏服は足りたか?

連休最後の日は私も休みがとれた。久しぶりの休みは勿論誰とも会わず、話さない。
例年9月には夏服の整理をして保管クリーニングに出すのに、それも遅れているので夏服の整理をした。ところで、昨年あんなにバサッと処分してしまった夏服は足りたか?
足りたどころか、一度も着なかった服がまだ結構あった。充分だったのである。正直に言うと買ってしまった物も何点かある。ガウチョパンツ2枚にチュニックシャツ3枚だ。このアイテムからバレバレだろうが、楽そうで体形が隠せるという理由でつい手がのびてしまった。だが、この5点よりも着なかった服の数の方が多いのだから、量的にはまったく問題が無かったのである。この新しい5点の代りに着なかった物から5点減らせば、全体量は増えない。夏は汗っぽいからとインナーは少し多めに取っておいたが、どうやらそれも不要のようだ。一シーズン試してみて、まだまだ減らせるという確信が持てたのだ。仕事の場にはそれなりの恰好が求められるので今は仕方がないが、現役を退いたらドッと洋服は減ることだろう。
さて、処分する服はどうするか。私とてまだまだ着れそうな服をゴミ箱行きにするのは忍びない。
都合の良いことに、私の住んでいる渋谷区には拠点回収というシステムがあって、再利用目的で洋服やバッグを回収する所があるのだ。その近所にはリサイクルショップがあって、それらを安く販売している。提供者にとってお金にはならないが、ただのゴミにしたくないという気持ちは少し慰められる。それにしても、処分する服を並べてみると同じような物ばかりで、がっかりだ。

私は洋服が大好きで沢山買っては飽きて、それを人にあげていた。主な犠牲者は妹たちだった。だが、人が不要になった物を喜んでもらうはずがないことに気が付いたのは、逆のことを人にされた時だった。上質な物、高かった物だからただ捨てられないのだろうが、いかに良い物か、私の方が似合うかを強調する相手を見て、わが身を振り返った。不思議なことにどんな人も同じように、くれようとしているその洋服の良さを強調する。だったら自分で着れば良いのにね。もったいなくて捨てられないだけなのに、決してへんな物を押し付けているんじゃないのだという言い訳を、無意識にでも伝えたいのだろう。私にも覚えがあるのでよく分かる。どうあれ、所詮、自分が着なくなった物なのだ。そんな訳で私は、ねだられた洋服以外は人にはあげないことにしたのだった。何十年も前に妹に譲ったコートを、姪が今風に可愛らしく着ていたのはとても嬉しかったけれど、そういうのは稀だろう。
大好きな洋服と辛い別れをしない為には、とにかく増やさないことだ。服を減らした分、一つ一つに愛情を注ぎ充分に着尽くせば、使い切ったという充足感も生まれるに違いない。






2015年10月3日

80 晴れ女に雨男

私は俗に言う「晴れ女」だ。今まで大事なイベント事で雨に困らされたことはあまり無い。何十年の中で思い出せる悪天候は、大雪2回に、台風1回くらいであろうか。雨で困ることは、まずは出かけて頂くのに足元が悪いこと、傘置き場の無い小劇場などで傘袋を渡す手間やお客様に煩わしい思いをさせることがある。殊に大変なのは野外の催しである。順延もまた後の事を考えると大変だが、中止になるのはお客様に気の毒で主催側の後処理も大変だ。急遽、屋内の代替会場に変更ということもあるが、準備もあるのでいつの段階で判断するかも難しい。そういう意味では、今まで悪天候に困らされなかった私はとてもラッキーだった。
その私に強敵が現れた。その方は観世流シテ方梅若玄祥師、人間国宝である先生に「敵」などと申し上げては失礼千万だが、先月お会いした際に「僕は雨男で、今年はもう3回薪能が中止になっているの。最後くらいは晴らせたいね。」と、仰天することをおっしゃる。2週間くらい前から天気予報に注目していたが、前後は晴れなのに、公演日は雨の予報。薪能に関しては全勝だった私もとうとう初黒星かと、もう泣きそうだ。
公演前日の仕込み日から雨が降り始め、会場のある土浦の城跡に私が到着した時にはかなり激しい降りだった。通常は前日の夕方には舞台の組み立てがおおよそは出来ているのだが、この日は土台の鉄骨が組まれているだけで、鉄骨に雨が激しく降り注ぐ光景は悲しすぎる。市の担当者たちと話し合い、明日は曇りで降水確率0パーセントという天気予報を信じ、野外で決行しようという結論を一旦は出して解散。翌朝8時に集まり、いよいよ決行という段階から猛スピードで準備が始まる。前日の仕込みが遅れていた分もあり、スタッフにはかなりの負担だ。それに100パーセント雨が降らないという確約は無い。曇りの空を見上げるばかりだ。そこへ朗報(?)。照明の斉藤さんは、台風もそれて行ってしまうほどの強力な「晴れ男」だそうで、晴れ女に晴れ男の二人が居れば、いかな強敵(玄祥先生、すみません)であろうと、大丈夫だろうということになった。それでも何度も空を見上げる。夕方近くなると青空ものぞき、いよいよ問題はなさそうだ。到着した玄祥先生も「今日は大丈夫そうだね」と笑顔。
篝火に火が入り、いよいよ公演が始まると舞台の上の中空に十三夜の美しい月。うっすらと雲がかかり薄月夜に秋の虫の声。こういうシチュエーションがまさに薪能の醍醐味なのだ。
能「田村」も後半にさしかかり、もう少しだ、良かった、良かったと胸をなでおろしていたところに、あろうことか、雨がパラパラ。空には月が出ているというのに! ザーッとくれば即刻中止だがここが判断の難しいところ。お客様も動かない。そうこうする内に雨は止んでくれたから無事に公演は終わったが、本当にやれやれである。玄祥先生も安堵の様子を見せながら「やっぱり僕らしいとこがちょっと出ちゃったね」と。
これだけの舞台を作る人たちとは思えないほど非科学的な笑い話だ。