2014年1月26日

5 向田邦子式「〇」

このブログが「健在確認」(生存確認とはまだ言わない)の側面を持つ以上、一週間に一度の更新が基本だと暗黙の了解になっており、一部の友人には公言している。自分でも、そのくらいは出来るだろうと高を括っていた。
ところが、私は相も変わらず多忙を極め今年も正月明けから一日も休み無く、昼夜と予定が埋まっていて帰宅後はバッタンキューの生活が続いている。そんな風なので、一週間に一度の更新も結構大変なのが分かってきた。

「一日一句」を目指してほぼ毎日、溜まっても二三日に一度の更新をして10年もブログを続けている友人がいる。こうやって自分もブログを始めてみると、それがいかに大変なことなのかがよく分かる。畏敬の念を抱くばかりである。
その友人も大病を得て手術をした後は更新も遅れがちになり、心配することも多かった。調子の悪い人に様子を聞くのは気が引ける。周りの友人にとって彼女のブログは彼女の様子を伝えてくれる指標となっていた。そういう意味でのブログの効用を教えてくれたのは彼女である。
彼女のように俳句という簡素にして本質を伝える方法を持たない私は、書けない時は、向田邦子式「〇」に頼るしか無い。疎開に行く寂しがり屋の妹に、〇だけを書いたハガキを父が渡したエピソードは前にも書いた。

時間が無い時はそれでいこう。
今日も元気だ。







2014年1月19日

4 トランクひとつを携えて

「トランク一つ」という言葉も、「シンプルな生活」「気ままな生活」の象徴としてよく使われる比喩だ。
トランク一つで暮したい、と長い間思ってきた。家というものを持ちたいとは一度も考えたことが無い。若い頃から何故か「放浪」「デラシネ」の思いに囚われている。種田山頭火などの漂泊の人にひどく惹かれる。
ここいらで本気で「トランク一つ」を目指してみようと思う。
今や「断捨離」ブームでもあり、インターネットなどを見ても私のようにトランク一つの生活に憧れている人が結構多いようである。専門のスレッドが立っていたのには驚いた。読んだ印象としては皆とても明るい。
私のように人生の最終章に足を踏み入れ、終い仕度の意味合いでモノを整理しようというのでは無く、まだ若く現役中にモノを無くそうというのだから凄い。その身軽さと自由への希求が清々しく気持ち良い。
ところで、トランクひとつの達人で絵になる人といえば、それは「寅さん」だろう。定職につかない風来坊の寅さんは、とても尊敬出来る人とも思えないが国民的人気を誇った。観客の心の根底に自由への憧れが潜んでいるということも人気を支えた要因の一つであったに違いない。
それにしても、いくらなんでもあのトランクでは間に合わない。それにあくまでも「一つ」とは「少ない」のメタファーであって、最終的にはトランク二つくらいに出来たら御の字だろうと思っている。二つだったら旅にも持って行ける範囲だ。でも、まずは一つに何がどのくらい入るかやってみよう。
何かを本気で始める為には、具体的な物を用意し環境を整えるのが有効だという。
まずは102Lの大きめのトランクを購入してみた。色は朱色で柿色にも見えるし、曙色にも見える。暖かみがあって、人生の黄昏時に旅立ちをするにはピッタリの色だ。
さて、何からここに入れようか。

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2014年1月13日

3 「旅」/書・山本萠

タイトルバックの書は、昨年のさんの個展で求めた物だ。最初は絵に見えたこの書の前で釘付けになった。寒風に土埃が舞う荒野を旅芸人、あるいはジプシーが歩いて行く。落款は太陽に見えなくもない。映画「風の丘を越えて」「旅芸人の記録」のシーンにあったような光景が浮かんで何とも言えない感動に打たれた。
一見アブストラクトな絵のように見える「旅」の字だが、きっちり筆順で書いたと聞き、改めて象形文字としての漢字の成り立ちに思いが至り、感慨深く思った。
ご縁があった作品が他にも何点か私の手元にあるが、時々それを年賀状やこういった物に使わせて頂いている。萠さんはいつも使用を快諾して下さるが、作品を写真に撮ったりプリントしたりすると別の物になってしまうので、大変失礼で申し訳ないと思っている。だが、私がつたない言葉を何万語も連ねても伝えきれないものを、萠さんの一枚の書を通して伝えたいと思うことがあるのだ。
この書に殊更に感動を受けた一人にダンサーの青年がいたそうである。さもありなんと思う。身体表現をする人にとっては、きっと感じるものがあったことだろう。しかし、お金も無い若いアーチストに作品を求める余裕は無く、しばらく書の前に佇んで立ち去り難くいていたそうだ。もしかしたら、この作品は私以上に彼に相応しかったかもしれないが、生きる支えに心に灯すものの一つとして、私にとっても必要な一枚なのである。
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2014年1月5日

2 The Last Ship / Sting

ブログ表題「ラストシップ」は、大好きなミュージシャンの一人であるスティングの新しいアルバムにあやかった。
スティングはほぼ同い年。国は違っても同じ時代の風を受けて歩んできた共感がある。ビートルズで音楽に興味を持ったところなど、まさに同世代ならではだ。日本公演の際は何度か足を運んでいる。
10年ぶりの新しいアルバムが“The Last Ship”と聞いて、その暗示的なタイトルに同世代的な感慨で、いよいよスティングも人生の最後の航海について考えているのだなと勝手に想像していたのだが、内容は違っていた。今秋ブロードウェイで公開されるミュージカルの為に書き下ろした物であった。自分の故郷の造船業の衰退を描いた、叙事詩とも思える、キリスト教的父と子の物語である。寓話的、夢の物語でもある。
いかにもミュージカルらしい楽曲もあり、楽しい中にも物悲しいサウンドはスティングならではだ。少し地味だが出来は良いし、スティングらしいアルバムだと思うが、発売後の評判は賛否両論とのことだ。“The  Soul  Cages”の時もそうだったが、支持者が少ないアルバムほど、一方で熱狂的な理解者はいるものだ。“The  Soul  Cages”のテーマは「死者の魂をなぐさめて、前に進んで行く」というものであった。父を亡くした後、どうしようもない空虚感に苛まれていた私は、父親が他界した後、やはり、曲を書きたいという気持ちが枯渇した、というスティングの言葉に強く共感したものだった。父への挽歌として作られた“The  Soul  Cages”は、私にとっても魂を揺さぶられる作品であった。これらの作品に心動かされなかった人も、時が過ぎ経験を積んだ後に再び聴いてみるとその良さが判るに違いないと思う。人生と向き合うスティングの中心的テーマは、いつも「自己発見」だから。
The Last Ship”に話を戻すが、ジャケット写真のスティングの渋いこと、かっこいいこと!! 幾つになってもシャイで、知的で繊細、しかも精悍だ。ギターも上手く、男性ファンが多いのもうなずける。
音楽には無関係だが、ディスクのイラストも良い。丸いディスクを地球に見立てて、青い海をグルッと一回りする赤い船。シンプルなアブストラクトな絵でイメージが広がる。
幾つになってもかっこいいスティングではあるが、我がブリティッシュロックの他の旗手たちも実に素敵に齢を重ねている。エリッククラプトン、ロバートプランツ、ジミーペイジ、etc. ミックジャガーなんて何?!まだやんちゃなクソガキだ。文字通り、転がる石に苔むさないということか。
毎年のように行っていたNYも久しく行っていないが、“The Last Ship”の公開予定の今秋には、しばらくぶりに訪れてみたい。  

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